セニョールKENT音楽レポート「 インド INDIA」

Vol.11 インド INDIA
 

■ 溢れんばかりのインド国民総インド音楽プンプンシンドローム


正直インド音楽に関して決して詳しいとは言えないし、友人のインド音楽プロフェッショナリストに対して恥ずかしいので偉そうなことは言いたくない。
しかしこのインドでの音楽体験に対して一文書きたくなる気持ちは、その地で、そのリズムを感じてシビレチマッタからなんじゃないだろうか。それほどに衝撃的だった。

日本にいるときからタルビン・シーンやニティン・ソーニーといった、インド系イギリス人でクラブミュージック界のスターのことは知っていたし、映画もさることながらサントラが絶妙だった「ベッカムに恋して」、その中でも人気だったパンジャビMCを筆頭としたベンガリビートと言われるジャンル、そして最近はHIP HOP界の某有名アーティスト達もインドサウンドをサンプリングしたりと、インド音楽が旬なことは感じていた。
ただ、それはブームとしての盛り上がりであって、ビートルズ時代にあれだけブームになったインド音楽がしばらく存在だけを残してブームとは無縁だったように、旬とは気まぐれなもんだ。イチローや松井、中田や稲本がいる今だから日本の野球やサッカーが注目されるように、後継者が続かなければ旬は続かない。旬とはそんなもんかな。

しかし私がインドで感じたインド音楽とは、旬とはまた別次元のものであった。伝統に培われた良質品というか、まるでイタリアンクラシコの上質スーツというか。
売り上げや知名度といった尺度でどうしても何事もちやほやしてしまう昨今、インド人にとっての音楽とはそこだけに価値観を置いている感がない。街中で、お祭りで、ラジカセのスピーカーで、彼らにとってはインド人の血(DNA)に馴染んだ音楽が流れていることが大切なのだと思う。自分達に馴染む音楽が、それもしっくりと身に馴染むものであれば、彼らはサラリとそれを受け止め、自分の日常のものとする。



そもそもインドでの衝撃は、その音楽の「街中に溢れている度」が1つに言える。

インドの旅は、本当にうるさい。クラクションの音や大声で喋る輩、物があたる音やら獣の遠吠えやらなにやら。その中にどこからともなく大音量で流れてくるインド音楽も混じる。街にCD屋自体も多い。楽器屋も多い。ミュージシャンも多いし楽器を弾ける人もなかなかの人数いそうである。

そもそも国の体制的にも人々の体質的にもやかましいお国柄である。音楽は、クラシック音楽のように良質の音響の中で聴くもの(語弊があったら失礼)だなんて考えているインド人がどれだけいるか。うるさい街中でも聴こえるくらい大きな音で流す。音楽は街のリズム、鼓動の1つでもあるのだ。

 


このような書きかたをするとインドで奏でられる音楽に対し語弊が生まれるので記しておきたいのがその全体的クオリティの高さである。

インドには伝統楽器の伝説的ミュージシャンが数多くいるが、そういったミュージシャンの音楽をリスペクトし、その道を受け継ぐミュージシャンが数多く存在する。街中のボッタクリ楽器屋や、自称プロミュージシャン、こういう言い方をすると悪いが、そういった怪しい輩も実際演奏すると本当に素晴らしい音色をかなで始めるのだ。まぁそこが曲者だったりもするところだが、とにかく、自分達の音楽的ルーツを正直に尊敬し、演奏に鍛錬している人が非常に多く、また好むものも多いと言うことだろう。







またインドには敬虔なヒンドゥー教徒が多く、そもそもその宗教自体に音楽性が強いことが彼らの中での「NO MUSIC, NO LIFE度」として現れている。

寺院からはマントラ(チャント)と呼ばれる宗教音楽が街中に響き渡る。それがまた特有の音階からなる(インド的)キャッチーさを持ったものだし、CD屋などにも主力商品と同様に並んでしまう。ヒンドゥー教はその神々の逸話自体が本気で言っているのか否か疑ってしまうようなキャッチーなお話のように感じてしまう私だが、仏教やキリスト教で言うところのお経や賛美歌的位置づけのものが、マントラであると考えると、ヒンドゥー教が10億人もの人口を抱えるインドで大衆宗教であり続ける理由はこういった「キャッチーさ」のバランスが故なのかもしれない。彼らはこのマントラと共に日々神々に祈りを捧げているのだ。



   


しかし世界の多くが西洋ナイズされているこのご時世に、インド人は何故インド音楽を愛し続けるのか、それを現すのが「10億総歓迎度」である。

 上記のように宗教的バックボーンがしっかりしたお国柄、そして更に追い討ちをかけるのが娯楽の頂点として君臨し続ける、海外では「ボリウッド」などと呼ばれるインド映画である。

貧富の差も大きなインドでは、このインド映画の世界がたまらなくかっこいいのだ。海外の映画を見ても自分達のDNAには芯からしっくりこない。インド映画の中の華やかな世界、美しくもおどけて踊るサリー姿の女優、かっこよく踊り振舞う男優、そしてリズミカルに流れるインドのリズム。こいつがシビレルんだ、これが俺たちインド人の理想的な世界なんだ!インド大歓迎、インド音楽大歓迎!!



   


こうしてインド音楽の衝撃を綴っているとこちらまでが人間的濃さが増してゆく思いです。さて、バラナシのある楽器屋で、楽器屋のオーナーが嘆いていた。「最近の若者はただノリがいい音楽なら何でもいいんだ。俺はコンテンポラリーなインド音楽が好きだ。」。インドにもグローバリゼーションと呼ばれるものの流入を感じる証言である。

確かにツーリズムの世界的発展やインターネットやら何やら情報のグローバル化、インド系移民による海外からの文化逆輸入はインドの若者の趣味にも幅を持たせ始めたようで、4つ打ちトランスビートやブレイクビーツを好んで聴く輩も随分と増えているようだ。

しかしインド旅行を終えた今なら、私は彼に答えてあげることが出来る気がする。インド人一人一人に流れるインド音楽へのDNAの営みが如何に強固ものであることを。

心配いりませんよ、店長。アナタのようないい年したオッサンが私のようなヨソ者にインド音楽の魅力を熱く語るかぎり、お祭りや街中でかき鳴らされるインド音楽で皆がシビレ続けている限り、海外で育ったインド人が作る音楽さえもインドの匂いを放っている限り、アタナたちの音楽は永遠にあなた達から消えてなくなることはありません。時代の変化と共にそのかたちを変えようとも、あなた達からインドの音色は消せません。

正直キューバ以来の衝撃だった。国民皆にとってこんなにも身近に音楽があって、伝統が生活の中で脈々と受け継がれている感じを実感したのは。インドにいる限り、インド音楽がどこにいてもプンプンと匂ってくるのだ。

 
 
 

 

セニョールKENT音楽レポート トップへ