セニョールKENT音楽レポート「 インド INDIA」
Vol.11 インド INDIA | |||||||
■ 溢れんばかりのインド国民総インド音楽プンプンシンドローム
このような書きかたをするとインドで奏でられる音楽に対し語弊が生まれるので記しておきたいのがその全体的クオリティの高さである。 インドには伝統楽器の伝説的ミュージシャンが数多くいるが、そういったミュージシャンの音楽をリスペクトし、その道を受け継ぐミュージシャンが数多く存在する。街中のボッタクリ楽器屋や、自称プロミュージシャン、こういう言い方をすると悪いが、そういった怪しい輩も実際演奏すると本当に素晴らしい音色をかなで始めるのだ。まぁそこが曲者だったりもするところだが、とにかく、自分達の音楽的ルーツを正直に尊敬し、演奏に鍛錬している人が非常に多く、また好むものも多いと言うことだろう。 またインドには敬虔なヒンドゥー教徒が多く、そもそもその宗教自体に音楽性が強いことが彼らの中での「NO MUSIC, NO LIFE度」として現れている。 寺院からはマントラ(チャント)と呼ばれる宗教音楽が街中に響き渡る。それがまた特有の音階からなる(インド的)キャッチーさを持ったものだし、CD屋などにも主力商品と同様に並んでしまう。ヒンドゥー教はその神々の逸話自体が本気で言っているのか否か疑ってしまうようなキャッチーなお話のように感じてしまう私だが、仏教やキリスト教で言うところのお経や賛美歌的位置づけのものが、マントラであると考えると、ヒンドゥー教が10億人もの人口を抱えるインドで大衆宗教であり続ける理由はこういった「キャッチーさ」のバランスが故なのかもしれない。彼らはこのマントラと共に日々神々に祈りを捧げているのだ。 しかし世界の多くが西洋ナイズされているこのご時世に、インド人は何故インド音楽を愛し続けるのか、それを現すのが「10億総歓迎度」である。 上記のように宗教的バックボーンがしっかりしたお国柄、そして更に追い討ちをかけるのが娯楽の頂点として君臨し続ける、海外では「ボリウッド」などと呼ばれるインド映画である。 貧富の差も大きなインドでは、このインド映画の世界がたまらなくかっこいいのだ。海外の映画を見ても自分達のDNAには芯からしっくりこない。インド映画の中の華やかな世界、美しくもおどけて踊るサリー姿の女優、かっこよく踊り振舞う男優、そしてリズミカルに流れるインドのリズム。こいつがシビレルんだ、これが俺たちインド人の理想的な世界なんだ!インド大歓迎、インド音楽大歓迎!! こうしてインド音楽の衝撃を綴っているとこちらまでが人間的濃さが増してゆく思いです。さて、バラナシのある楽器屋で、楽器屋のオーナーが嘆いていた。「最近の若者はただノリがいい音楽なら何でもいいんだ。俺はコンテンポラリーなインド音楽が好きだ。」。インドにもグローバリゼーションと呼ばれるものの流入を感じる証言である。 確かにツーリズムの世界的発展やインターネットやら何やら情報のグローバル化、インド系移民による海外からの文化逆輸入はインドの若者の趣味にも幅を持たせ始めたようで、4つ打ちトランスビートやブレイクビーツを好んで聴く輩も随分と増えているようだ。 しかしインド旅行を終えた今なら、私は彼に答えてあげることが出来る気がする。インド人一人一人に流れるインド音楽へのDNAの営みが如何に強固ものであることを。 心配いりませんよ、店長。アナタのようないい年したオッサンが私のようなヨソ者にインド音楽の魅力を熱く語るかぎり、お祭りや街中でかき鳴らされるインド音楽で皆がシビレ続けている限り、海外で育ったインド人が作る音楽さえもインドの匂いを放っている限り、アタナたちの音楽は永遠にあなた達から消えてなくなることはありません。時代の変化と共にそのかたちを変えようとも、あなた達からインドの音色は消せません。 正直キューバ以来の衝撃だった。国民皆にとってこんなにも身近に音楽があって、伝統が生活の中で脈々と受け継がれている感じを実感したのは。インドにいる限り、インド音楽がどこにいてもプンプンと匂ってくるのだ。 |
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